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内部通報から裁判まで、オリンパス元社員 濱田正晴氏の8年<全5回>
2021.08.19濱田 正晴 氏が取材に応じたディークエストホールディングスのオフィスは、偶然にも濱田氏がかつてオリンパス子会社に出向していた頃勤めていたフロアだった。当時も見ていた窓からの景色を懐かしむ濱田氏に、1回の内部通報から始まった8年間に渡るオリンパスとの闘いについて聞いた。
※取材はアルコール消毒、空気清浄機設置、部屋の換気、撮影時以外はマスク着用など万全の感染対策を講じたうえで2021年7月にディークエストホールディングス本社会議室で行いました。
※写真や資料の一部は濱田氏より提供されたものです。
内部通報前、表彰されるなど順調にキャリアを積んでいた
濱田 氏:この写真を撮ったのは、当時このビルで働いていた頃の1997年です。当時このビルにはオリンパス販売という子会社が入っていて、営業への異動を希望したらこちらに配属されました。それまではカメラ開発に携わっていましたが「技術者で終わるのは嫌だ、営業がやりたい」と上司にお願いして。開発の仕事では自分の限界が見えていましたから、営業に異動して水を得た魚のようでした。
濱田氏は1999年にオリンパス・アメリカに赴任、NYマンハッタン地区で営業活動に没頭した。2001年度には売り上げ達成率ナンバーワンとなって表彰されるなど、華々しい成果をあげ管理職候補となるなど出世街道を歩んでいた。2004年にアメリカから帰国、翌2005年に内部通報することになる部署へ異動した。
1回の内部通報がその後の人生を大きく変えた
2006年12月、上司が取引先重要顧客だった大手製鋼メーカーA社で営業担当をしていた男性をオリンパスに引き抜いた。この男性はA社の様々な機密情報を知り得たことから、オリンパスでの営業活動を通じて男性が持つ情報が製鋼業界に漏洩する恐れを危惧する声がA社から上がっていた他、業界内でも問題視する声があったという。上司は2人目の引き抜きも画策しており、濱田氏はこの男性のオリンパス入社について上司に「問題がある」と進言するも、上司は耳を貸すどころか「口を出すな」、「引き抜きの邪魔をするな」などと答えたという。
濱田氏は翌2007年6月11日、社内の内部通報制度を利用して上司の行為をコンプライアンス室に内部通報した。この時46歳だった。
Q : 内部通報した動機は何だったのですか?
濱田 氏:上司部長の上司であった事業部長にも、「この立て続けの引き抜きは問題であるから・・・」と直談判しました。しかしその結果は、それをやめる意志がないばかりか、その事業部長から私に対しての恫喝や、脅しのEメールなどがアメリカ出張中にも送信されてくるなど、コンプライアンス室への通報以外選択肢がなく、どうしようもなかったからです。
コンプライアンスを順守しないコンプライアンス室
濱田氏の通報を受けたコンプライアンス室は通報を受けてから約2週間後の7月3日、濱田氏にメールを返信する際、宛先に通報対象者である上司を含めるという極めて杜撰な情報管理により、内部通報者が濱田氏であることを漏洩した。濱田氏の了解を得ない行為であり、後にコンプライアンス室は濱田氏に対して無断漏洩を詫びるメールを送信している。しかし裁判では一転して「濱田氏の了解を得ていた」と主張を翻した。
報復人事に耐える日々
内部通報してから約4か月後、濱田氏は当時の営業部署を外され新設の部長付ポストに異動となる。実態は、オリンパスとしては「実質的成果なし」として見切りをつけた新規事業についてリサーチさせるという無意味な作業を強いる“報復人事”だった。また「特別面談」と称して密室で恫喝される、「濱田君再教育計画」というタイトルの新入社員向けテキストを勉強するなどの生産性のない仕事ばかり与えられる扱いを受けてきた。
裁判で濱田氏側が提出した2009年上半期の人事評価シートからは、オリンパス側の制裁的な人事評価が見て取れる。
この総合評価点 [ 44.4 ] についても、濱田氏にはあえて不吉な数字を点数にしたと思えたと言う。
さらに、会社が定めたアクションプランには「コミュニケーションについては〇〇氏が統括すること」、「外部との接触は必要があれば〇〇氏に申請しなければならない」(〇〇氏は濱田氏の直属の上司)などと書かれ、組織をあげて社内外の人間関係から孤立を図っていたことが伺える。
Q : パワハラ、モラルハラスメントを受けていた時の気持ちは?
濱田 氏:どうしようもない管理職の実態を見て、企業の管理職の上位層になると、こういう陰湿な手立てで社員を追い詰めることを命令されたら従うしかないのかと、パワハラを行っていた上司達に対して、そして当時の人事組織に対して、怒りを超えてとても情けない冷めた気持ちになっていました。
Q : 当時のオリンパス社に欠けていたものは?
濱田 氏:内部通報制度云々の問題よりも会社として、幹部たちが社員に約束したことを守ることは最低限必要だ、という認識が全くありませんでした。そもそも、企業風土が全くダメであった。つまり、物言えぬ、守秘義務などの約束を守らない風土=カタチだけのコンプライアンス通報窓口だったと思っています。
第一審で敗訴するも二審で逆転勝訴、和解まで8年闘った
一審判決(2010年1月)では濱田氏側が敗訴、二審判決(2011年8月)では濱田氏への配転命令が無効であり、オリンパス側に賠償が命じられる逆転勝訴となった。オリンパス側はこれを不服として最高裁に上告したが棄却され、2012年6月に二審の東京高裁判決が確定した。
オリンパスは敗訴が確定しても濱田氏への制裁的な人事を続けたため、濱田氏は人事配転や名誉回復をめぐって複数回訴訟を起こし、2016年2月に和解した。法廷での闘争は丸8年に及んだ。
濱田 氏:勝ったという感覚が一番強かったのは東京高裁判決(2011年) の時ですね。2016年の和解の時は「勝った」という実感よりも「決まったんだな、終わったな」という感じでした。8年闘い抜けたのは、自分は悪くない。悪いのは無断漏洩した人達、パワハラした人達。辞めるんだったらその人達が辞めればいい。この思いが一番ですね。それから憧れのオリンパスに入社して働き、愛社精神がありました。要は会社自体は悪いわけじゃない。そこにいる組織とか人が腐っている。冗談じゃない、汚すな。そういう思いでした。
Q : 和解調書はオリンパス全社員に公開されましたが、その時の気持ちはどんなものでしたか?
濱田 氏:ホッとしました。和解協議だけでも1年かかりましたから。公開するために会社側にも配慮したうえで私が一定の納得ができる内容だったので、これで名誉回復できたと思いました。ただ、経営陣から対面の謝罪はありませんでした。当時の笹宏行社長から、「当該従業員に対して心からお詫び申し上げる。今後こういうことがないようにコンプラ体制しっかりしていく」という趣旨の、私の名前を伏せたメッセージが公開されました。ただ解決金として私に1100万円が支払われるということは会社が相当悪いことをしたと認めたということですし、そういう意味ではホッとしました。これをきっかけに徐々に同僚も話をしてくれるようになりました。
Q : パワハラをした被告上司や情報漏洩をしたコンプライアンス室の担当者から直接の謝罪などはありましたか?
濱田 氏:誰からもないです。いまだにないです。被告でパワハラを行った元上司は、執行役員になりました。高裁で私が逆転勝訴しても執行役員のままでしたが、オリンパスの上告が棄却されて出勤停止2日の懲戒処分となりました。その後は執行役員で懲戒処分を受けたことの重みで辞められました。
有名な弁護士でもリアリティには勝てない
濱田 氏:オリンパスの経営陣や人事部は、私に裁判で負けたのはなぜなのか。私は自分を信じてルールに基づいてやっているんだから、悪いことはしていない。相手がいくら有名な弁護士を使ってきても、リアリティに勝てるわけがないと思うんですよね。自分に自信を持つということと、信念を曲げないこと。人はすぐにぶれてしまって楽な方にいってしまいますよね。そういったことがないようにやってきた結果が、たまたま私の結果を生んだと思っています。
2021年オリンパスを円満退職、この経験を活かす
濱田氏は裁判係争中に東京弁護士会に人権救済を申し立て、同会はオリンパスに対して、濱田氏への対応や処遇は「重大な人権侵害にあたる」と警告した。濱田氏は2016年にオリンパスと和解した後も、公益通報者保護法の改正に向けて国会で意見陳述するなど精力的に活動を続けており、同会は2021年1月に濱田氏に東京弁護士会人権賞を授与している。
濱田 氏:退職前からいろいろな講演依頼やインタビューの依頼がきていたので、出来る範囲で受け始めたところです。今後は、私の経験を活かして企業の内部統制や内部通報など、企業が良い方向に向かうきっかけになるなら、是非協力していきたいと思っています。
オリンパス内部通報者の濱田正晴氏に内部通報制度や公益通報者保護法について聞く連載。全5回で掲載します。
濱田正晴氏は1985年にオリンパスに入社し、開発、営業、マーケティング等の業務に従事してきた。営業の仕事に邁進していた頃、当時の上司が取引先重要顧客である大手製鋼メーカーの独自技術を知る営業社員を立て続けにオリンパスに引き抜こうとしているのを目の当たりにし、2007年に同社のコンプライアンス室に内部通報した。ところがコンプライアンス室の担当者は、濱田さんが内部通報したことを上司に漏洩。さらに会社としても濱田さんを専門外の部署に異動させる、社内の人間関係から孤立させる、最低の人事評価を与える、密室で大声で叱責するパワハラなど、数々の不利益な取り扱いを行った。濱田氏は2008年2月に配転命令の無効と損害賠償を求めて提訴したほか、東京弁護士会に人権救済を申し立てるなどしてオリンパスと闘ってきた。不当な人事や名誉の回復を求める訴訟も含めた8年間に及ぶ裁判の末、2016年2月にオリンパスと和解した。2021年3月にオリンパスを退職し、現在は、アムール法律事務所にて自身の経験を糧に改正公益通報者保護法や内部通報制度に関するセミナーなどで講演するほか、アドバイザー業務も行っている。
アムール法律事務所(企業研修): https://www.amour-law.jp/lecture/#block01