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樋口先生の「失敗に学ぶ経営塾」WEB講座:著作権侵害事件とベンチャー経営シリーズ 第5回 ベンチャーの経営変革の方策-起業家自身が変革の妨げになる

2021.03.23

もくじ

1.起業家の特性と限界

 ベンチャーを興す起業家には、自ら道を切り拓く「独立性」やイノベーションを生み出す「独創性」が必要とされるのは当然である。それ以外の特性としては、「強い志」「目標達成への執念」「リスクを怖れぬ姿勢」「強いイニシアティブ(行動力)」が挙げられる。
 ただし、起業家は必ずしも万能ではない。不得手な事柄があるのは当然であり、これを「起業家に不足している能力」とする。さらに、前述した起業家の特性は、立ち上げ時の「攻め」では強い武器となるが、「守り」の局面では弱点に転じかねない。こうした起業家の特性に起因する問題を、「起業家ならではの弱点」と呼ぶことにする。

「起業家ならではの弱点」の典型が、「思い入れの強さ」である。これは、前述した「強い志」「目標達成への執念」「リスクを怖れぬ姿勢」によって生み出された思考の偏りと整理できる。第3回で説明したようにN氏がM氏やX氏を重用したのも、やはり「思い入れの強さ」によるものだ。
 ベンチャー企業の規模が拡大していくと、一般企業と同様に組織管理上の様々な問題が発生する。それに伴って「起業家に不足している能力」や「起業家ならではの弱点」が顕在化し、経営方式の変革を迫られることになるが、起業家がそれに対応できるかどうかが重大な岐路となる。
 これまで解説したように、D社では、売上高1000億円を超える上場企業に発展した後も、依然として起業家主導の経営が維持されたことが、著作権侵害事件の背景となっている。この問題を「ベンチャー経営の変革困難性のリスク」と名付け、「ベンチャー企業が成長を遂げたにもかかわらず、起業家自身が経営方式の変革に消極的であるために、リスク管理や企業統治の整備が遅れて経営上の問題が誘発されるリスク」と定義する。
 以下では、ベンチャーの経営変革の方策について解説する。

2.補佐役の起用

 ベンチャーの急成長期の前半は、起業家が強いイニシアティブを発揮することが不可欠であるため、補佐役を起用して「起業家に不足している能力」を補完することが有用である。
 補佐役の本質的要素は、「経営者の弱点の補完」と「経営者との特別な信頼関係」の2点である。ただし、発展途上のベンチャー企業では、起業家が不得意な業務分野を補完できる有能な人物を雇用するのは容易でない。起業家と「特別な信頼関係」を構築できる人物となるとさらに難しくなる。起業家の個性が非常に強いため、なかなかそのような人物と邂逅できないのだ¹。

 前回解説したようにH氏は、急成長期のD社において、起業家のN氏に欠けているリスク管理面の機能を補完し、N氏とは深い信頼関係で結ばれていたことから、補佐役の定義に合致する。その一方で、H氏の補佐役としての忠誠心は、あくまでN氏個人に向けられたものであった。後任のM氏との間では「特別な信頼関係」を構築できず、H氏がD社を去ったことが、著作権侵害問題の対応の遅れの一因になった。

3.企業統治の構築

 ベンチャー企業の成長に伴って、起業家のワンマン経営による様々な弊害が顕在化するが、その中で最も重大なのは「起業家の慢心」である。
事業の成功により自信を深めるとともに、長期間にわたって強力な権限を揮い続ければ、いずれ慢心に陥ることは避けがたい²。一般企業でもワンマン経営の弊害は決して小さくないが、ベンチャーの場合にはさらに深刻となるため、それに歯止めをかける企業統治の整備が緊要となる。
 その一方で、企業統治を構築するのは「監視される側」の経営者であることが問題となる。特に起業家は、自らの経営手腕を過信するあまり、他者が経営に容喙することを嫌い、企業統治の実質面を疎かにする傾向がある。
 また、起業家は個性が強いため、自分と気が合う(=経営者との同質性が強い)人物を社外役員に選任しがちである。そのため、いったん選任されると、社外役員の在任期間がかなり長くなってしまう。かくして経営者との人間関係が濃厚になると、社外役員の要件である「独立性」が失われてしまうおそれがある。

4.チーム経営への移行

 企業規模の拡大に伴い、起業家個人では全体を管理できなくなるため、チームによる経営に移行することが必要になる。チーム経営は、「起業家に不足している能力」や「起業家ならではの弱点」をカバーするだけでなく、ワンマン経営を解消する意味でも重要である³。

 ベンチャー企業でも、急成長期の後期になれば、従業員が相当な経験を蓄積している。また、知名度向上により優秀な人材をスカウトすることも可能であるため、経営チームのメンバーを集めることは難事でない。しかし現実にワンマン経営から脱却できないケースが多いのはどうしてだろうか。
 チーム経営への移行とは、起業家がそれまで独占していた権限を他者に委譲することである。起業家にしてみれば、権限を手離すこと自体が苦痛を伴う上に、自らの経営手腕によってベンチャーを成長させてきたとの強い自負があるため、チームの能力に対して懐疑的になりがちだ。要するに、これまで積み上げてきた成功体験や起業家精神が、チーム経営への移行の妨げとなるのである。

5.後継者の選任

 後継者へのバトンタッチは、起業家の老化が経営の躓きとなることを防止するとともに、ワンマン経営から脱却する契機にもなる。もともと起業家は「守り」の面の脆さを抱え、大企業経営者としての安定性に欠けるところ、企業規模に則したバランスの取れた経営者に交代することの意義は大きい。
 しかしベンチャー企業では、起業家が後継者の選任に消極的であったり、後継者を選任しても権限をなかなか委譲しなかったりするケースが散見される。その理由として、後継者には「攻め」と「守り」の両面への配慮が必要とされるが、起業家の目からは、「攻め」の起業家精神が足りないと受け取られてしまうことが挙げられる。さらに、起業家は「強いイニシアティブ(行動力)」によって事業を切り拓いてきたため、自らが主導的に経営に携わることができない状況にフラストレーションを感じる。
 こうした後継者への不満とフラストレーションが素地となって、「志の実現のためには、やはり自分が経営手腕を揮うしかない」という自己正当化がなされ、起業家の続投あるいは再登板という事態に至ってしまうのである。

6.ベンチャー経営の安定化

 経営学におけるベンチャー論では、これまで「いかにしてベンチャーを育成するか」について盛んに議論が進められてきた。しかし、現に成長を遂げたベンチャー企業を社会的財産として安定化させる方策については関心が薄い。成功した起業家をカリスマとして崇め、その短所については目を瞑るが如き最近の風潮は、極めて危険と言わざるを得ない。
 ベンチャー企業がその規模を拡大していく過程で、起業家自身が経営変革の必要性を認識し、チームによる経営への移行と企業統治の構築に努力するとともに、「攻め」と「守り」の面でバランスの取れた後継者を育成しなければならない。D社の場合で言えば、N氏がいつまでもオーナーのように君臨し続けていることが、同社にとって最大のリスクなのである。

【今回の要点📝】

ベンチャーを『百年企業』に成長させたいなら、起業家自らが経営変革を進め、自分の存在感を減らしていく必要がある。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」ということだ。

【注釈および参考資料】

<注釈>

  1. この点について小田(2007)は、「トップと補佐役の関係が成立するためには、一定の条件がある。その条件とは、(中略) 人格・パーソナリティ・生き方がうまく合致することであり、これは幸運に恵まれなければ成立しないことであるかもしれない」(同188頁)と指摘している。
  2. MonotaROの起業家であった瀬戸欣哉氏は、「会社の持続性を考えた際、創業社長というのは非常に危険な存在です。現場のことをよく分かっているから、ものすごく万能感があるんですよね。だけど、会社が大きくなってくると、その万能感が間違っていることが増えていきます。社長が知っている現場は過去の現場で、今は違うことが起きている場合があるからです。現場感覚があると過信して経営し続けると、間違ったトップダウンになる可能性があります」と述懐している(日経ビジネス2018年6月11日号125頁)。
  3. ドラッカー(2015)は、「ワンマンによるマネジメントが失敗する前に、そのワンマン自身が、同僚と協力すること、人を信頼すること、さらには人に責任をもたせることを学ばなければならない。創業者は、付き人をもつスターではなく、チームのリーダーになることを学ばなければならない。(中略) ベンチャーのマネジメントに関して重要なことを一つ挙げるとするならば、それはトップマネジメントをチームとして構築することである」(同182頁)と指摘している。

<参考資料>

  • 小田晋(2007) 『補佐役の精神構造』生産性出版
  • ドラッカー, P. F. (2015) 『イノベーションと企業家精神【エッセンシャル版】』(上田惇生訳)ダイヤモンド社 (Drucker, P. F. (1985) Innovation and Entrepreneurship, Harper & Row)
  • 樋口晴彦(2019) 『ベンチャーの経営変革の障害』白桃書房

警察大学校警察政策研究センター付
博士 警察庁人事総合研究官
樋口 晴彦
ひぐち はるひこ

1961年、広島県生まれ。1984年より上級職として警察庁に勤務。愛知県警察本部警備部長、四国管区警察局首席監察官等を歴任、外務省情報調査局、内閣官房内閣安全保障室に出向。1994年に米国ダートマス大学でMBA取得。警察大学校教授として危機管理・リスク管理分野を長年研究。2012年に組織不祥事研究で博士(政策研究)を取得。危機管理システム研究学会理事。三菱地所及びテレビ東京のリスク管理・コンプライアンス委員会社外委員。一般大学で非常勤講師を務めるほか、民間企業の研修会や各種セミナーなどで年間30件以上の講演を実施。

【著作】
『ベンチャーの経営変革の障害』(白桃書房 2019)、『東芝不正会計事件の研究』(白桃書房 2017)、『続・なぜ、企業は不祥事を繰り返すのか』(日刊工業新聞社, 2017)、『なぜ、企業は不祥事を繰り返すのか』(日刊工業新聞社, 2015)、『組織不祥事研究』(白桃書房 2012)など多数。その他に企業不祥事関連の研究論文を学術誌に多数掲載。コラム「不祥事の解剖学」(ビジネスロー・ジャーナル誌)、同「組織の失敗学」(捜査研究誌)を連載中。

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